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26歳で死んだ男のブログ

現代に必要なのはありふれた情報でなく、個人の人生も社会も抜本的に変化させる今までに無かった全く新しい知識・技術・商品である。

今までには無いチームプレーの形

認識技術「観術」の価値は様々な形で表現できますが、その中でも実際的な価値は「チームプレー」だと思います。

 

これまで何度かブログに書いてきた通り、僕は学生時代必死にサッカーをしてきました。

 

どんなに練習が辛くても頑張れたのは、共に同じ目標に向かって頑張る仲間がいたからだし、そもそもサッカーという競技を楽しむことができるのは自分以外の10人がいてくれるからです。

 

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サッカーというスポーツは非常に奥が深くて(まぁ奥が深くないスポーツなんてないのかもしれないけど)、全員が流動的に動くことで成り立っています。

 

アイコンタクトもサッカーのゲーム中にはよくあることで、チームメイトがどれだけ信用をしきれているのか、というのが本当にゲーム中に現れます。

 

「こいつはこのタイミングで、この軌道でパスを欲しがっている」というのがわかっている関係があると、本当に奇跡的なゴールに結びついたりするんですよね。

 

とまぁ、チームプレーの重要性とか、その醍醐味というのはみなさん少なからずこれまで様々な場面で感じてこられたことでしょう。

 

部活以外でも、学校での学園祭や修学旅行、社会人サークルや塾、会社のプロジェクト等々。

 

ただこれまでみなさんが感じて来られたチームプレーとは明らかに異質なチームプレーを可能にするのが認識技術「観術」です。

 

私がここまで言い切れるのは、これまでに経験した数々の奇跡と、周囲の仲間との関係性があるからです。

 

観術という技術は「観」点を次元上昇させる技「術」なわけです。

 

観点の次元上昇がチームプレーとどう関係するのか

観点とは(正確じゃ無いが)、簡単に言えばものごとの「考え方・捉え方」のこと。

 

次元上昇とは、見ている抽象度がひとつあがるということです。

サッカーはひとつ抽象度をあげれば「スポーツ」であり、スポーツをより抽象度をあげれば例えば「娯楽」ということができるでしょう。

 

抽象度をあげるということは異なるものをグルーピングする、まとめるということでもあります。

 

サッカーと野球は別の競技だけど、「スポーツ」という枠の中にまとめることができるし、サッカーと麻雀も「娯楽」というところまで抽象度をあげれば同じ枠組みの中に入れることができます。

 

そう、ですので観点の次元上昇が意味するところは「考え方・捉え方が異なる者同士であったとしても、同じ枠組みのなかで考えをまとめることができる」ということになります。

 

もうちょっと補足というか、現実に使えるところに即して言えば、

「絶対に分かり合えないと思っていた人とでも、分かり合えることができてしまう」

というのが観点の次元上昇の価値です。

 

異なる考え方と思っていたAさんだったけど、実は抽象度をあげてみたら考えの共通している部分が見えてくるわけです。

 

チームプレーを強めることを阻害することの多くは「考え方の不一致」です。

 

「なんとなく」気にくわない相手というのは相手の「考え方」、これはあえて言い換えれば相手の「価値観」が気にくわないわけです。

 

だから気にくわない相手が存在してしまう。

気にくわない相手とはチームプレーができません。

 

逆にチームプレーがうまい人というのは、総じて思考が柔らかく、多くの異なる思考を受け入れる器の大きさをもっています。

 

これを可能にするのが認識技術です。

 

もちろんいきなり誰とでも仲良くなれるとか、そんな話ではありません。

技術を習得するのは多少の時間もかかりますから、徐々に変化していく部分も多くあります。

 

でも着実に変わっていくのです。

そうして生まれて来た今までに味わったことのない変化したチームプレーの形。

 

仲間たちとディスカッションをしながらそれを感じた夜でした。

今までの自分の価値観では到底受け入れてこなかったであろう、年配者の意見の数々。

 

そうした異質を随分楽しめる自分になってきました。

 

ひでき